家族の誰かが体調不良になります。
誰かの願いが叶う頃、あの子が泣いてるよ的に書いてみたかったのですが、無理だった成れの果てです。
今日は、
寒いです。
たしかに平均気温は暖冬傾向になるのかもしれませんが、そのせいか我が家では体調不良者続出です。
まず、息子が年末に風邪を引きました。
まあ今のうちでよかったじゃんなわけです。 大学受験なんで。
でも、それが割と長患いして、体調良くなったみたいだなと思ったら、今度は奥さんですわ。。
今度は誰ですか?
風邪ひきのルーレットでは、私ですか?
ルーレットマーン!!(これ知ってる人はほぼ昭和生まれの人)
私は、、風邪など引きません!!と決めているので、引きません!!
とかなんとかいってますが、割と体調不良にはなる方なので、これから繁忙期になる前に引いておいた方がいいのかもしれませんが。。
誰かの願いが叶う頃、あの子が泣いてるよ。
これは、宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶う頃」という曲のサビの最後部分の歌詞ですよね。
先日、YouTubeのショートで芦田愛菜ちゃん(さん)が「人を信じる」ということについて、
「よく人が口にするその人を信じています。というのは、その人に対して自分の理想像にすがりたいから口にするのではないか。」要約するとそんな感じのことを言っていました。
だからこそ、こちら側からは見えていなかったその人のもともと持っていた一側面に「裏切られた」という感情を抱きやすいのだろうとも。
人付き合いが苦手な人にも多い感情なのではと思いました。
期待するからこそ、「裏切られる怖さ」みたいなものを感じてどんどん遠ざけるような。
人付き合いの苦手な人ほど、もしかすると、人に理想像を期待する傾向があるのかもしれませんね。
政治の政策などもそうで、政治政策は基本的にウィンウィンにはなれないもので、どこかで意見の妥協をしなくてはならないものと思います。
それは感情の世界ではなく、なるべく感情に寄り添った形でしか運営できないのです。
つまり誰かの願いが叶うころ、あの子が泣いてるよ。ってことなんだと思います。
勝手に抱く理想像とその過程での裏切られ感。
思惑と信条など様々な人間模様が欲望にまみれて、塗り固められた社会には、なかなかおもしろい心情が潜んでいるなと思ってニュースを見たりしています。
国政にしても、個人生活にしても、その主体が人である以上、今の世の中で、国に、また,個人に対しての批判が多いというのも、自分が造った理想像が裏切られたからなのでしょう。
人を信じるというのは、(その人に対する自分の理想像を)裏切られる可能性がある分、難しいのかもしれないが、それはその人の一側面でしかないという芦田愛菜ちゃんの一言はいろいろな気づきをくれそうです。