自己犠牲のない人間が犠牲になっていく。
矛盾のようでそれは真実だと思う。
もちろん、すべて犠牲にしろなんて甚だ思わない。
あまり自己犠牲しすぎると、甘えられかねない。
しかし、多少なりとも人のために自分が犠牲になれる心持ちをもっていないと、この世界ではやっていけない。
この世は自分以外他者だ。
何も信頼しないなんてことは出来無い。信頼しないと服も着られない。
服や靴、家も他者が作り、命を預けるシートベルトや、公共交通機関も他者が運営する。
そしてなにより、他者がいないと自分の存在意義さえ危うくなるのだ。
あなたはいる という人がいるから、自分が存在するのだ。
だから、なんでもいい。なんでも話せる人を一人作ることだ。
こと、子供がいる平和な家族の両親は子供に対して自己犠牲の結晶であるに違いない。
それは夫婦間も一緒だ。
自分は少し疲れてたとしてもその人のことを思い、行動するときに、信頼を得られるに違いない。
故に、多少の自己犠牲は必要だと思うのだ。