toujun’s blog

ラジオ、ゲーム、大好きなオジさんが始めた好き勝手に書くブログ

世の中には陰と陽があるわけで。

最近の新聞のラジオCMで「大きな声での言った言わないも大事かもしれないけど、声にならない小さな声も大事だと思う。」みたいな文言を耳にした。

 

たしかに、皆に関わるような大きなことは、ニュースになりやすいし、書きやすいし、買われもするだろう。また小さな声は記事になりにくい。

結果はどうあれそういった小さな声を拾っていきたいというその新聞社の姿勢を伝えたかったのだろう。

 

個人的にはその小さな声も大事なのはわかるが、大きな声の表面をさらうだけでなく、裏側にあるものにも目を向けて欲しいと思うのだ。

この世には、結果として表に出ているものを全てとする結果論的なものが多い気がするのだ。

陽に当たっている物ばかりを見、聞き、わかった気になるのは些か早計な気がする。

陽に当たっているのはほんの一部なのだ。

全体の10%が陽で90%が陰の奮闘にあるといってよい。

そこを評価できる世の中になればまた、変わってくる気がするのだ。

また、そこに気付けるかどうかも問題だ。

 

人間も必ず陽の時があれば陰の時がある。

陽の時だけを見ていれば楽なのだが、私はどうひねくれてしまったのか、陰を知りたがってしまう。

 

つまり、人が人生の途上で負けに見える時がある。

そのときにその人が一体どういう心持ちになるかをよく見る。

また、特定の人を自分よりも劣っている、または、負けていると思っているような人間のその人への態度をよく観察する。(書き込んでいて、嫌な人間だなとつくづく,,,)

 

実際、私もあまり失敗したところを見せたくないなという人に、敢えてその笑えない失敗談を笑いながら語り、なにを語るかを見てしまう。

相手をさらに蹴落とすのか、それぐらいで済んで良かったというのか、それとも、現実的な評価を中立の立場からするのか。

 

いい面につけ、悪い面につけその人の新たな一面を発見するのだ。

いいときはそんなに本性を出さない人間も、相手の立場が弱くなると急に態度が急変することがあるから、人間は面白い。

 

人間一人に陰と陽があるように、世の中も多側面で見られるようになりたいと思う今日この頃だ。