題名が、大風呂敷広げた上に、よくわからない一言の場合、
まあ、ほら、全世界を憂える今の人類だし、
「子供の翼を折らないようにしてきた」という言葉は、2019年東大の名誉教授上野千鶴子さんの入学の祝辞で引用されました。
あれは男性と女性の教育の上での固定観念から、どのようにして娘さんを育てたかと聞かれた返答の言葉ですけれども。
この前ラジオで、子供が中学受験を受けたいと決意して、難関校への受験勉強を開始したが、塾以外ではなかなかやる気にならず、自身もあまり指摘するとやる気を無くすだろうから指摘をせずにいると、ようやく試験1ヶ月前にやる気を出して巻き返したが、間に合わず、残念な結果に。。私は親として何をしてきたのか。と後悔しているような内容の相談がありました。
TBSの蓮見アナも自分のことに引き当て泣かれていました。
私も2人の子供の父として、思うことがありましたねぇ。
まず、大前提として、親として、1人の子供という命を育てる大変さ、それだけで偉大だということです。
なので、親としての責務はそれだけで全うしてます。
ただ、一つ残念なのは、頑張った結果を残念だと思ってしまったこと。
思った学校に行けなかったとしても、その行けた学校で行けなかった学校では生まれない新たな価値観が生まれるかもしれない。
それは気の持ち様?
でしょうか?
例えば、日曜日という概念。
仕事してる人、休みの人
休みの人は日曜日に仕事して大変だなあと思う時もあるかもしれませんね。
仕事の人は休みの人をみていいなぁと思うかもしれません。
でも、元を辿れば勝手に人間が文化として日曜日を作ったわけで、そこに人間が休みとして合わせたので、本来、その文化がなければなんでもない一日だったはずなのです。
であるならば、せっかく仕事をしているのに、損をしているような気の持ちようでやるのは勿体ないですね。
私個人としては、気の持ちようで世の中どうとでもなると思ってます。
翻るに、そのお子様の親は、残念しか見えなくなってしまったということ自体が残念です。
確かに親の思う通りにはならなかったのかもしれませんが、受験の厳しさがわかって良かったねと学びがうあるといいですね。さらに本人が悔しがっていたら儲けもんです。その悔しさがあれば糧にしてまた挑戦しようね。と言ってあげてほしいです。
まずは、6年間頑張ったね!です。
中学の3年間は本当に子供は大きく成長します。
義務教育が終わる次の3年間の方が大事だと思うのです。
「この世には、なったか、ならなかったの二つしかねぇんだ。」
と諭します。私はこの考え方は少し嫌いなのですが、それは一旦置いておいて、今回に関しては、
結局、そうはならなかったという事実はあっても、それが「失敗」というものにすり替えるのは人間によって格付けされるものなのでしょう。
子供のやる気という翼折らないように、是非とも良かった探しをしてほしいと思った出来事でした。