今日は一つ大一番を迎えた。
100名程度の前で自分の人生の来し方を話さねばならない日だった。
父親を19歳の時に失い、音楽の道を諦め、家計のため父親の事業を引き継ぎ、母と共にこの20年、試行錯誤しながら戦ってきた。母ももういい歳だ。
今でこそ1人だが、ようやく人を雇えるくらいの仕事量の会社になった。
そーれーを!1人でやってるバカですから!!
そりゃあ、キャパ越えの連続ですよ!!
でも、
昔、寝ずに仕事してある時亡くなってしまった方で、その方のSNSの内容みたらものすごく充実していた内容の話があった。もちろん、世間としては「過労死」。
だけど、本当に過労死と本人は思っているのだろうか。
なにやら、安寧の中に倒れることを所願満足と考えてる方が世の中多いけど、
誤解を厭わず、むしろ、カッコいいみたいな言い方でいうよ?
どうせならリングの上で倒れたいね。
そうじゃないと、人生つまらないよ。
もちろん、死にたいわけじゃない。
健康に気を使いながら、命を無駄遣いしないように、使っていきたいよ。
とある離れ島で、子供が勉強せず、遊んでいる。
それを見た、旅行中のサラリーマンが、
「勉強せず遊んでばかりか。」
と言った。
すると、その子供が
「なんで勉強しなきゃいけないの?」
と、サラリーマンは
「それは、いい大学に入って、いい会社に入るためだ。」と。
子供は、
「なんで、いい会社に入らないといけないの?」
と、サラリーマンは
「それは、いい会社に入ると給料がいい。そうすると、老後が楽になる。」
と、子供は、
「老後が楽になったらなにをするの?」
と、サラリーマンは、
「老後にこう言った離れ島でお金を気にせずのんびり暮らせるんだ」
と、すると子供は、
「なーんだ。それならもう今、僕らはそうしてるさ」
と。
何のために生きるのかの目標を履き違えると、
何のために働くのかすら危うくなる。
のんびり暮らすためなら、今でもできるのだ。
だから、命の使い方を大事にしたいのだ。
時には負けることもあるかもしれない。
そこで諦めたら本当の負けだ。
勝つことより、自分に負けないことが勝つことの因となることがある。
改めて、自分の人生の来し方を文書にしたとき、そう言ったことが明確になった日だ。