toujun’s blog

ラジオ、ゲーム、大好きなオジさんが始めた好き勝手に書くブログ

春なのに

わーっかりやすい悪者が出てきて報道を賑わしくしてますね。

 

今までコロナで分断!分断!だったのが。

 

一気に勧善懲悪のように、団結!団結!

 

 

 

団結、それ自体は悪いことではないと思います。

 

が、

 

ただ、一つだけ。

 

外交問題は善と悪だけに分けられないグレーも確かに存在するということ。そして、

よく対話なんて意味がない。向こうに対話できる思考なんてない。だから、大事な人を守るためこちらも武装するんだ。って話と、

 

そもそも武器で守ろうとして相手の大切な人を奪う可能性がある。まずは対話で収まる世界を作るべき。その先駆けを、「守る」というマヤカシで同じ土俵にあがることで潰さないで。

 

というこの二つの話は

ニワトリが先か卵が先かの話になってしまいますが、

前者は結局、権力に屈する人の言い分なのかもしれません。

 

なにが言いたいかというと、どこの世界においても、そこに私と同じ「人間」がいるということを忘れない。

ということ。

 

2010年の「運命のボタン」という映画があります。

このボタンを押せばあなたに大金が手に入るが、この世のどこかで誰かが死ぬという話。

とある老人がそのボタンを持ってきて、夫婦は悩んだ挙句押す。問題なのは、押したあとに、ボタンを回収に老人がやってきて、「あなたの知らない誰かにこの装置を渡しにいく。」と

 

 

 

 

この映画、観てないけど、おそらく幸せ絶頂の最中にボタン押されてだれか死んじゃうんじゃね?

 

ということくらいは容易に想像できます。

 

戦争起こすボタンを押す人は相手の国に人間が見えなくなった権力者の成れの果て。

そして、核武装とか言ってるのも、権力者が踊らされた権力にすがる者であると同義ということ。

そこで流される涙と血はおそらくより大きくなることでしょう。

 

それは戦っている兵士も人間ということを忘れないこと。

そして、私たちの知らないところでこの戦争だけでなく、ずっと紛争が起こっていた地域もたくさんあるということ。

 

当たり前のことだけど、当たり前ではなくなってしまうのが権力の魔性だと思います。

 

それを人類はまた再認識しないといけない段階に来たということを、絶対に教訓にしなくては亡くなってしまった人に申し訳ないと思った次第です。

じゃあ、私たちは何ができるのでしょうか。

高邁で大胆なアクションを起こすしかないのでしょうか。

多少のお金を援助するのもいいでしょうが、

私は個人的に、足下に泉ありで、私たちの周りの人達を大切にすることじゃないかなと思います。

戦争を起こすのが人間である以上、人間同士がしっかりとしたつながりを持って生きることだと思ってます。なので、今、生がある以上亡くなってしまった両国の人の分まで目の前の1人を大切に明日を精一杯生きたいと思います。