最近ちょっと考える出来事があって、結局人間によって引き起こされていることなんですけど、、。
今回は、その私の最近の脳の中の事を言葉にしてみようと思います。
なかなか難しいのだけれど。。
私の脳の中の事を字に表すので、理解不能が当たり前です。
そうです!だいぶ疲れています!!
読まないのも一手です。一手というか推奨です。
そして、どうこの雑記を終わろうか悩んで終わらせてます。
書いてる当初は結構悩んでましたが、書きながら考えていたら落ち着いてきてたので、今のこの文と文体が変わってます。そういう意味では、この雑記の使命は果たしていると考えてますが。。
↓ここから
人には立場があり、人には家族があり、人には歴史がある。
自分が対面している「人」はその場その場で生まれたAIではない。
例えば気分の悪くなること、なんでも良いのだが、私の場合は、よく三車線の道で左から真ん中の車線に、勝手都合よく車で割り込んで来る車がある。いや、その車を運転手している「人」がいる。
さて、割り込んだその「人」は、果たして同じ行動を他の「人」が行ったらどうなるだろうか。
私も良くやることだからお互い様だ。となるだろうか。
その後その車線にいた後続車は次々とブレーキを踏む。
渋滞の始まりかけだ。
世の中は何一つ、人間不在でできることはない。
確かに人間なしでAIによって作れる物はあるだろうが、その作った先は結局、人間の生活のためだったりするものだ。
また、AIは自分が好んだ答えをくれることが多い。自分の好みを情報として汲んで答えているからだ。
人間はAIのようにはいかない。
ところがそんなわかりにくい人間によって自分という存在が確立するということを考えると、人間との関わりはなかなかに絶てないものだ。
先の横入りしてきた車。
そのまま見ていると、どうやら一番右の右折レーンに入り右折したかったようだ。
きっと、しまった!右折しなければならないのに、と思っとっさに起こした行動に違いない。
そう思うと、可愛げすらある。
皆、欲しい言葉、欲しい気遣いなどは違うものだ。
知って欲しい情報、くどい言い回しだが、知らないでいて欲しいということを相手に知って欲しいということもきっとあるはずだ。
人は
その人を知らなくては、その人と信頼は築けない。
その人を知らなくては、その人の欲しい言葉も出てこない。
その人を知ろうとしている時点で、人は自分勝手ではなくなる。
それがわからないと、この世は非常に生きにくい世の中になるだろう。
そんな人が私の周りには割といるのだ。
他人に気を遣って生きているようで、その気遣いがまるで的を射てないことによって、むしろ気遣いのない人間のように見えてしまうような人。
私は気を遣っているということ知って欲しい!とその人は思っていると思う。
しかし、自分を知って欲しいならば、まず、他人を知ろうとすることから始めないといけないということに気づいていない。
したがってそういう人に限って、割と被害者意識が高く、人の話を聞かないことが多い。
相手を知ろうとしないで、私を知って欲しいという欲望は、いつしかそれを理解してくれない相手に対する苛立ちに変わる。
そうなると、相手の愚痴しか出なくなってくる。
負のスパイラルに落ちていくのだ。
やがて、相手との間柄を切断し始める。
最後は誰もいなくなってしまう。
これは、鬱病とかの類ではない。
きっと、両親との間柄、親子愛の受け方に影響されているのだろう。
人間とはどういうものか、人との距離感などのそうしたものが成長段階で受け取れなかった人はそうなることが多い気がするのだ。
この世の結果には必ず原因があるからだ。
病気と一緒で原因がわかれば改善への第一歩が打てるのだ。
相手を知ることは、自分を知る事。
さて、私はこの話をどうやって終わらそうかと考えている。
そこで、私は、「公開」のボタンを押すことにしたのだ。