一体、人間が人間らしく生きていくためにはどうすれば良いのでしょうか。
題名がそんな感じの雰囲気になると、
皆さんこうお思いでしょう?
そんな答えのないこと言ってたってしょうがないんだよ!
と。
その通りです。
その通りなんですけどね、私の知り合いに人間不信になってしまった人がいるんですよ。
まあ、語弊を恐れずに言うと、人とのコミュニケーションが上手くいかない人が陥りやすいですよね。
私の知り合いもご多聞に漏れずそうでした。
何かその人が言うと、言葉のチョイスも少し変わっているのですが、周りの雰囲気が「お前がいうなw」という雰囲気になるんです。
要はからかわれやすいんですよね。
人間の、特に日本人の文化としてが多いのかな?
1つ言ったら10理解しろという、無理難題な文化。
これが根底に、また、無意識にある「1つ言う側の人」だと疎外感が否めなくなるのです。
たしかに、1つ言って10理解するとその人は社会などの組織では重宝されますよね。
重宝されますけど、そこには甘やかしが発生しますね。
そう、「1つ言う側」の甘やかしです。
そりゃ、楽でしょう。1つ言えばわかってくれることが当たり前になれば。
そうなると、あとは比較対象がいるだけになります。
だから、先の知り合いは、とことん比較対象として蔑まれていくことになりました。
そして、ついには仕事を辞めざるを得なくなってしまいました。
彼の人間不信のテストはたまに話すわたしにも向けられます。
約束の時間1つ決める際も、候補日をちょうだいといったところ、
「自分の尺度で物事を決めるような人に○○さん(私)が落ちてなくてよかった」
ああ、テストみたいなもんだったか。。
人間不信の人は悲しいかな、付き合える人を自然に選ぶ羽目になっていってしまいます。
若い時はいいのです。余計なことを考えずに突っ走れるので、歳を重ねるごとに要らない知識をつけ卑屈になっていきます。
私たちはもしかすると、SNSの普及で知らなくていいことを知ることになっているのかもしれません。
知らないことの幸せということが、あるのかもしれません。
一昔前より、目にする情報が多くなり、余計に考え、疎ましくなり、計算高くなり、そして、不幸を感じるようになり、人を恨む。
そんな人が人を監視し、差別し、非難する社会にあって、人間が人間らしく生きていくのは並大抵の努力じゃないのです。
まさに、明石家さんまさんの
「生きてるだけで丸儲け」
なのです。
?BEGINの歌の歌詞だっけ?
まずは、私が、あなたが他人を差別しない。
この目の前の1人を大切にすることが結局は、人間が人間らしく生きてられる社会を作る潮流になっていくと思います。