toujun’s blog

ラジオ、ゲーム、大好きなオジさんが始めた好き勝手に書くブログ

大人って、、

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

大人とは一体どういうことだろう。
よくラジオでリスナーからの便りを読んでいるのを聞いていて、
「昔食べられなかった苦手な食べ物が美味しく感じた。味覚が大人になったんでしょうか。」
とか、
「昔はわからなかったあの映画のワンシーンが今では痛いほどわかる。大人になったのかなぁ。」
とか、

そんなことでは無い気がします。
味覚とか、映画のワンシーンとか歳を取った経験値でしょう。おそらく。。

ちょっと横道には逸れますが、今年の成人式は残念です。
うちの家庭教師の講師も二十歳で成人式だったそうですが、尽く無くなりました。
どこかで振替の成人式をやってもらいたいものです。

私も数十年前に成人を迎え、あの日のことをよく覚えてます。
酒が飲める!とか言って、居酒屋に同窓生と一緒に行った思い出とか。
それから、数十年経っても、老けたなとは思っても、大人になったなぁなんて思ったことはないです。

ただ、一つ大人なのかなと思うことは、


うちの奥さんがキレてもこちらは静観できるようになったことくらいですか。

女性は人に依りますが、どこまでも感情を乗っけてくるのでこちらがいかに理性で留めるかが勝負になってくると思います。

こちらが、理性的であればあるほど、ぶつかって来られる間も余裕があります。

そして、そんな感情的な奥さんですら、まあ、私にトンデモ試練をくれる貴重な人だなと感謝すら出来たときは、我ながら大人かもしれん。と思った次第。

あれですよ。人からすれば何言ってやがらぁ。のパターンです。

しかし、他人なら関係ないで済む話が、家族ではそうはいかない。逃げ場がない。

逃げ場のない試練は挑むしかないのです。
そして、その試練の嵐を越えたとき、むしろ経験し、成長しているのは誰でもない自分自身とわかっているから、面倒くさいが立ち向かうのです。

これを中途半端な気持ちで向かうと致命傷を負うので、真っ向勝負で挑むのです。
もはやこれは、人間と人間の錬磨です。
それでも、たまに物が飛ぶこともありましょう。

でも、感情的になっては負けなのです。
感情はこの戦いの落とし所で出すもの。
最後に、ぽんと肩でも叩いてわかってるよ(わかってないけど)と言って差し上げましょう。

なんて、あげつらってみたものの、結局大人ではなく生きてきた年数による拾得経験に過ぎない気がしてきました。

となると、


さて、えーっと。何の話をしているのだ。私は。