前に仕事を一緒にしていた人は、仕事ができる割に人に恵まれないひとだった。理由が不明であったが、一つの気付きがあった。
それは、私がとある業者からよく仕事をもらってその人には仕事がない時期に、凄い信頼されてるんだねと言われ、俗にいう当たり前の報告、当たり前の挨拶などをしている話をすると当たり前だねと言われた。ところが、その私に仕事をくれる業者にとっては当たり前ではなかったようだ。
今のご時世、当たり前のことをやっている職人がどれだけいるのだろうか。
そして、それを当たり前と片付けてしまうその人の気持ちが人を遠ざけているのではないかと感じてしまった。
世の中に当たり前ということがいくつあるだろうか。
数えるほどしかないと思う。例えば、地球規模で言えば上から下にものが落ちるとか、人類規模で言えば人間は必ずこの世を去るなどくらいであろうか
当たり前のことを当たり前にするという、一見、向上心を触発する一言だが、相手の気持ち、裏の心を見落とす危険が孕んでいる気がするのだ。
当たり前なんてものはない。だからこそその事象が遂行されたときに感謝できるのではないか。その行動に気付けるのではないか。
前にも述べた、上から下に物が落ちるのは、万有引力が働いているからである。
人が亡くなるのは、人間の生命を維持する部分が破損すると生命を維持出来なくなるからである。
そういった一つの事象にどれだけの力が裏にあるかを気づけなくなるのは、もったいない。
そして、その弊害は、今まさに国民が国に求める国からの公助、国が国民に求める自助、国と国民が行政に求める共助など当たり前だと思うからこそ、一つの出来事にカリカリしてしまうのかもしれない。
当たり前という言葉には大きな危険があるということを忘れてはならない。