よくマウントを取る強気の先輩がいた。
人によって態度を変える人だ。
少し前も私と仕事の話になり、そんなに安い仕事は受けないほうがいい。高く取れ!と言ってきた。私も安くもなく高くもない感じの値段だなと思っていたが、とにかく発注元の人間が嫌いすぎて相談したのだ。というか、期せずして相談みたいな形になったのだ。
そんな先輩の助っ人に入ったが、私がこの前相談?した値段の半分以下で私に頼んできた。
それだけならまだしも、扱いが非常に酷かった。罵声の嵐だった。私は思った。仕事内容がそんなに気に食わないなら頼まなければいいのに。
ところが、そんなに仕事内容が気に食わないのに、また頼んできたのだ。私は気持ちよく仕事ができない現場は人生に必要がないので、断ることを腹に決め話した。
この種の話は断るのは簡単なのだが、やはり、昔から多少世話になった先輩なので少し腹を決めないと断ち切れないと思ったのだ。
それでも、私には一つ悩みの種があった。
それは例えば
夏の暑い日にずっとエアコンの効いた部屋にいるとわからないが、外に一旦出て汗をかいて帰ってきたら、エアコンの効いた部屋のありがたみが改めてわかる。
そんな経験は誰もがあるだろう。
そう、今コロナで当たり前がありがたかったということを再認識するようなものだ。
それと同様に、
自分の好きな現場ばかりをしていると、いつしか気づかぬうちに感謝が薄れていってしまうのではないかというある種の病気のような気持ちに駆られることだ。
つまり、そのくだらない、ストレスでしかない、仕事とは到底言えない、罵倒されにいくようなその現場があるからこそ、いつもの仕事に感謝できるのではないかという論理になってしまうのだ。
しょうもない。
しょうもないのはわかる。
半分病気だ。
最終的な結果として1日なら受けるとの話で纏まった。
その先輩の現場は複数日行くとマウントを取ってくる傾向はわかっていた。
複数日じゃなければ、次の日から最悪その現場よりはマシな現場となる。
一日の禊は、私に次の現場への活力を与えるだろう。
【追記】
少し前にラジオ番組ジェーンスー生活は踊るの相談は踊るのコーナーで、30代女性がとある仕事の役職を目指して毎日雑用をこなして頑張っていて、ようやく結果次第でその役職に近づける仕事を任されたが、なかなかクライアントへその女性のプレゼンが通らず会社側の判断で自分よりも若い女性社員を起用したところプレゼンが通ってしまい、相談者の女性はそのプロジェクトから外され、雑用に戻ってしまったので悩んでいるという案件があった。
ジェーンスー氏と堀井美香アナがその相談を受けたわけだが、素晴らしいのは堀井アナの一言。以下趣旨
「仕事に【雑用】なんてない」
ということ。堀井アナも誰からも言われてないのに仕事の終わったスタジオを一人黙々と掃除をしたりするそうだ。
雑用とは、結局のところ自分が雑用と決めつけてしまうことだ。
結局、嫌な仕事だろうが、最終的に自分によって都合よく糧にしてしまえば、それは人生の上での栄養となってしまう。
今回はそんな案件なのだろう。