toujun’s blog

ラジオ、ゲーム、大好きなオジさんが始めた好き勝手に書くブログ

感情論

荒れている。

 

荒れているぞ!

 

我が家の生活スタイルが荒れている!

 

いつもより!

 

機械でもない。

AIでもない。

 

人間だもの。

 

荒れているというより

 

荒んでいる。

 

色々不手際が多すぎ!

 

でも、人間だもの。

 

 

私はシステマチックを理想とする人間。

 

理想とする人間は、システマチックではないのだ。

 

ステマチックな人間は、システマチックを目指さない。自分がシステマチックとも思ってない。

 

だから目指すくらいが丁度いい。

 

だが、今夜のウチは荒れている。

 

そこに募るイライラ。

 

啓蟄はとうに過ぎ、暖かくなって来た今。

 

虫が飛ぶ。

 

それを嫌がる嫁

 

そして、八つ当たりされる私。

 

また、その前に八つ当たりしてた私。

 

この荒んだ我が家は明日気持ちのリセットはされるのだろうか。

 

 

乗り切れない春

やはり乗り切れない。

 

やはりとは言ったものの予想外ではある。

 

ちょっと元気になれないのだ。

 

ほんの数ヶ月前までは結構快活だったのだが、

 

ちょっと陰鬱だ。

 

それは友人の家庭の不幸から始まったような気がする。

 

不幸自体には私の心が非常に冷たい感じで何も感じない。いや、感じてるのかもしれないが、それはわたしにはまだわからない。

 

それよりも、そのグループの友人関係からの疎外感だろうか。

 

高校の部活から続く友人関係だった。

 

十数人いた部活の同級生で仲が良かった数人でグループを作った。

 

結婚して飲みにもなかなか参加出来なくなったわけだが、それが原因となり、先日の友人の不幸から私を除いたグループが作られた。

 

私としてはそんな中学生のような仕打ちは鼻で笑ってたわけだが、知らなければどうということはなかったものが、勝手に存在を知らされて、知らされただけということがどうも釈然としない。

 

それならば存在すら知らない方が心の平静と保てた。

しかも、その理由が飲みに参加してないからという理由でた。

 

飲み会への参加というものが友人の物差しになるなら、もはや友人ではないのかもしれないが、モヤモヤはするだろう。

 

そのグループの存在を知らせた人も、誘うと言って誘いも来ずもう数ヶ月経つ。

 

つまり、私に伝えたことを向こうのメンバーに伝えたら、今はやめておこうとなったのだろう。

 

その先見の明の無さによる勝手な行動にも腹が立つし、その顛末のケツも拭かないことも腹が立つ。

 

そして、その上でやはりコロナ禍であろう。

 

ストレスを発散する場所がない。

 

乗り切れない春は、どこまでも続くのであろうか。。

 

 

 

 

 

卒業ソングといえば

卒業の時期だ。

 

私も中学時代、高校時代があり、中学のときは第二ボタン、、第二ボタンなんてしらない世代もいるとか。

 

もうそんなジェネレーションギャップを自分が感じるようになって久しい。

 

制服のボタンといえば、

 

斉藤由貴の「卒業」だ。

 

うーむ。

私もリアルタイムではないが、斉藤由貴さんの年齢を重ねても可愛らしさがある雰囲気は凄い。

 

伊集院光とらじおとで、斉藤由貴さんがゲスト回の時は結構サバサバされてたけども。

 

リアルタイムでは、my graduation by speedだ。

あの途中で曲調が激しくなるのが好きだ。

 

前山田さんもそんな作曲をももクロに提供しているイメージがある。

 

尾崎豊とか、柏原芳恵の「春なのに」とか、ジュンスカイウォーカーズの「歩いていこう」とか、聞いたなぁ。

 

でも卒業式は決まって合唱祭の時の曲を流してたなぁ。

そんなことを思い出した。今週のテーマ。

 

いや、テーマのリンクから入ってないから、特に意味はないのだけど。

 

 

季節柄

今週のお題「花粉」

 

正直生まれて何十年も花粉症知らずで生きてきた。

 

うちの奥さんと息子が花粉症だ。

 

辛そうだが、わたしにはどんなに頑張っても100%は理解できない。

 

と思っていた。

 

アレルギーは、コップの中の水と一緒で、溢れてしまう状態が花粉症の発症である。

 

溢れてしまったのであろうか。

 

ここ最近やたら右目が重い。

 

そして、ダルい。

 

今日に至っては両目である。

 

鼻は特に症状はないが、なにしろこの重さがやる気を削ぐのだ。

 

コロナ、コロナの変異株、そして、花粉症。

 

先日ジェーンスー生活は踊るの中で、

目が痒い場合、いきなり花粉症対策用目薬を差すのではなく、人工涙液を一旦差すと有効であるという話があった。

この人工涙液を差すとそこそこスッキリするらしい。

 

息子もある程度は人工涙液で過ごせたようだ。

 

私もある程度対策を必要とする状況なのかもしれない。

 

明日は3/11。

あの東日本大震災から10年である。

花粉の飛ぶ季節は、いろいろな感情が入り混じる時期だ。

 

 

 

どうやら繁忙期

どうやら繁忙期に突入出来たらしい。

 

これからゆっくりと忙殺されゆく身だ。

 

今は0:45だが、ほんの2時間前まで翌日の事前作業をしていた。

 

乾燥が続く日々。

 

水仕事の俺の手のヒビ。

 

韻である。

 

 

作業をしていると喉が渇く。

 

うちの近くにコカコーラの自販機がある。

 

そうだ。作業はあと少し。

 

今日の目標を達成したら、自販機でコーラを流し込もう。

ここで発泡酒を流し込まないのは、次の日に響かないためだ。

 

つまり単なる下戸だ。

 

 

目標さえ決めて仕舞えば、あとは突っ走るだけだった。

 

頑張った!コーラーが呼んでいた。

 

そして、いよいよ作業は完遂。

 

財布の中は?

 

ちょうど150円が入っていた。

 

 

よし!順調!!

 

颯爽と自販機へ!

 

 

 

 

遠くで、光っているはずのないコカコーラのボタンが光っていた。

いや、コカコーラだけではない。

炭酸飲料すべてが光っている。

 

まさか、

 

 

 

代金の取り忘れ!?

 

 

もちろん、そう思いたかったが、

 

 

要するに売り切れである。

 

近くの工事現場の野郎ども!!!

 

小さな殺意を隠しながらも、

 

この熱い想いをどこにぶつければと、向かった先は、友人が店長を務めるファミマである。車で5分だ。

 

いつもこの時間帯はバイトの人がいる。

 

と、思いきや、友人の店長がいた。

 

あぁ。働いているのは俺だけじゃないんだなぁ。

と友人を見た時に、後光が差しているようだった。

 

二言、三言会話を交わし、ライフガードを飲みながら帰宅。

帰宅した時にはすでにライフガードは空だった。

 

 

 

こうして、俺の繁忙期は始まるのだ。

 

 

 

ゴーストリコンワイルドランズみたいなゲーム出てこねぇかなぁー。

決して、ブレイクポイントではなく。ワイルドランズね。

 

最近面白いと感じるゲームが少なくなった。

 

COOPと呼ばれる協力オンラインは非常に少なく、

オフライン(1人)か、レイド(多人数)かPVP(対戦)しかない。

 

最近は、eスポーツといって賞金まであるスポーツゲームすらあり、オリンピックの競技になるやもしれないというものまで出てきた。

 

ゲームも侮れない世の中だ。

 

この前とあるテレビ局勤務の知り合いがこんな話をしてくれた。

 

とある番組のコーナー撮影で、戦争ゲームの対戦を各国の代表で一番生き残る対戦ゲームを勝ち抜き戦で行ったそうだ。

すると、どうなったか。

 

各国が対戦相手の国を罵り始めたそうだ。

ゲーム内敵国に対して差別用語のオンパレードだったそうだ。

 

もう、そこはバーチャルの戦場に成り果ててしまったので、お蔵入りになったそうだ。

 

対戦ゲームとかはそうなっちゃうよね。特に文化が違うし。とその知り合いが言っていたのが印象的だった。

 

やはり、私としては目的は同じくして協力してストーリーを進めたり、強敵を倒したりするCOOPの方がいい気がするが、おそらく、世の中的にも、業界的にも刺激が強い対戦形式の方がエキサイトするし、売れるのだろう。

 

しかし、それは見えない対人に差別を生んだり、嫌悪感を抱いたりすることを助長する気がするのだ。

 

もちろんゲームをストレス発散の場と割り切れる人なら嫌悪感も抱かないだろうが、そういう大人な対応をする人ばかりではないことも、オンライン経験者ならわかるだろう。

 

面白くなくなったのは、もちろん自分がやるべきこと、面白いことが別に存在し出したからかも知らないが、得てしてそのオンラインのあり方についていけないおじさんになりつつあるのだろう。

 

 

 

無関心と毀誉褒貶の狭間

やはり人は褒められると頑張れるものだ。

 

私も御多分に漏れず。

 

ただ、歳を重ねる毎に褒められることは少なくなる。

 

だからこそ、なおのこと人に褒められると感情と理屈は反比例する。

 

私も毀誉褒貶の人に成り果ててしまったのか。

 

 

ほめられぬれば我が身損じるをもかへりみず

そしられぬる時は又我が身のやぶるるをもしらず

 

とあるように、やはり褒められればどんどんやろう!って気になる。

しかし、怒られてばかりいるとどんどん心が離れていくものだ。

 

しかし、世の中には怒られても奮起させられることができる人がいる。

その違いは、その言葉の裏にどんな気持ちがあるかだ。

臆面もなく言えばそれは、その人に対する愛であろう。

マザー・テレサは言った。

「愛の反対は憎しみではなく、無関心」

 

無関心ほど人のやる気を削ぐものはない。

 

連絡した。返答がない。

報告した。対処がない。

勝利した。讃えがない。

悪いことをした。叱られない。

 

人は人の関係、つまり縁によって成り立っている。

故に、今日も褒めるところを探しながら人と付き合っていこう。