書くことにより、忘れないという事実も込めて。
少し前の話と最近の話になりますが、私の近しい人が2人亡くなりました。
一人は甥。24歳。
もう一人は近隣のお爺さん81歳。
81歳の方は、知り合った時から肝臓をやられていて、でも、快活に人と会い、語り、元気づける人だった。
それは、時に、命すら削っているのではないかというくらいの行動力でありました。
その人の必死な熱によってこちらも温められるような。
しかし、前述の通り、肝臓を患っていて塩分を抑制されていた中での今年の酷暑。
非常に相性が悪く、低ナトリウム血症になり入院。
そのまま旅立ちました。
甥は心臓疾患、アトピー、心の病を持ったお酒が好きな人でした。
心の病により、なかなか他人とのコミュニケーションがうまくいかず、職場を転々とするも、ようやくいい職場に巡りあった時に、自身がコロナに。
コロナ自体はそんなに重症でもなかったようだったが、心臓疾患とアトピーもあってか、かなり長引いたようで、大好きなお酒が飲めずに辛かったでしょう。
そこはまだ24歳。やはり、自身のコロナが少し落ち着いたと同時に大好きな酒をそれなりに飲んでしまったのでしょうか。
職場から出勤していないと親に連絡が入り、亡くなっているのが発覚してしまいました。
こうした、近しい人の死。
いずれは誰しもですが、一番悲しいことは、忘れてしまうこと。
もちろん、それにとらわれろ!というわけでは無いのですが、心に生きていると思いたい。
そして、二人の分まで生きて行きたいと思うのです。
だから、自分から簡単に命を落としてはいけない。
そういう意味で、私は今、竹内まりやさんの「いのちの歌」を聞いて、今月一杯までは喪に服すとしますか。
追伸、でもゲームはやりますよ。だって、元気でないと申し訳ないですからね。