toujun’s blog

ラジオ、ゲーム、大好きなオジさんが始めた好き勝手に書くブログ

正義の名の下

マサヨシ!!

 

 

じゃないんですよ。

 

題名で間違えたマサヨシさん。

本当にすんません。

 

ちょっと難しい話をします。

 

人類の歴史として正義という定義の難しい名前の下にたくさんの人種差別、弾圧やレッテル貼りなどが繰り返されてきました。

そんな人類は、猿の知能から、同種の生殺与奪を乗り越えて、ようやく人は生命の次元で平等なんだ。だれも取り残さない!と動き始めました。

 

私は、人間の生命は平等だと思いますが、世の中が平等に!とかは思いません。

むしろそれはならないと思います。

日本は中国や北朝鮮、ロシアなどの共産圏とは違います。

社長と社員で平等ではありませんね。

社長として、社員として、イケメンとして、フツメンとして、土日の休みと平日だってそれぞれの役割があると思います。

社長だって、社員がいなくては社長じゃなくなります。

イケメンだって、フツメンがいなくなればイケメンでなくなります。

土日休みも平日という概念がなくなれば、休日ではなくなります。

また、比較対象の社員、フツメンであっても別に卑屈になることなく価値をわかって誇り高く生きている人、逆に社長や、イケメンであっても不幸を感じて生きる人もいます。

そういう意味では平等でしょう。

つまり一つ一つに役割というものが当然あるのです。

 

この前、とあるワクチンを打った方がワクチンやめろ!と相当数の方々から言われてましてね。

なんだかやりきれない気持ちになりました。

 

誰だってコロナにはかかりたくない。

だけど、かかってしまう。

だからこそ人類は罹患しても重篤化しないようにと一生懸命ワクチンを作りました。

 

そのワクチンは、将来的に正しかったか間違ったかは判明するでしょうけど、現時点での人類の一種の答えとして打つことを選択しました。

打ちたくないという考えもその人の信念としての正義でしょう。

また、間違っていようがいまいが、打つという人も信念です。

打ってくださいとは言われてますが、あくまでも任意です。

打ちたくなければ打たなくていいのです。

 

ところが、強制されていると勘違いをしたか、あるいは、なにかの制約にとらわれて打たなくてはならなくなっているかでワクチンを打ちたくない人が接種をやめさせろという話になっていることは、打った人間からすると甚だ疑問です。

先程も記述したように、人間の生命は平等でさらには、一つしかないものです。

それを脅かしたり、脅かされたりするのは、もってのほかです。

それは、自分とそこに関わる人すべてに適用されることを考えると、他人からうつされた自分、他人が自分にうつして重篤化させてしまったという懸念を抱かせないためにワクチンを打つ人もいると思います。

ワクチンは間違っているという認識が正義と思い込んで、ワクチンを打った人にさえ、打つなと言い、口汚く罵るのは、それはSDGsには程遠い行為であり、他者の不在を自認させるものであると思うのです。

 

何度も言いましょう。

ワクチンを打つ打たないは自由です。

だから、打つ人も打たない人も責めはできませんが、どこまでもその選択をしたのは自分です。だから当然自己責任です。

人は自分の人生を自分の選択で生きているのです。

政治によって生かされているわけでありません。

しかし、その自己選択によって得る結果、恩恵、損害を受けられるのもまた、自己責任であるのは至極、当然の話です。

 

ようやく21世紀になって賢明になった人類も元を正せば、20世紀までは生奪与奪の歴史です。

この正義の名の下に人の生命尊厳を脅かすような言動は、果たして賢明な今の人類にとって正義といえるのか、よく考えて頂きたいものです。