個人的な雑記にも似た日記なので、SDGsで検索かけてきた方は本当にごめんなさい。
題名にね、SDGsなんて最近の言葉を使った場合ですよ?
そこそこ真面目な話になるのかと思ったら根拠のない話を垂れ流す可能性が十分にありますよってことです。
ショッキングな事件が起こってしまいましたね。
7/8に安倍晋三元首相が銃撃され亡くなられました。
当初はネット上でも自作自演ではないかとか、錯綜しましたが、政策に反対だろうが、賛成だろうが、人の死を悼まぬ人間の周りには、決して幸は訪れないと思います。
おそらく、政府にも人の命を何と思っているのか!と言っていたと思うのですが、自らがその同じ土俵へ上がるという愚かさには呆れるばかりです。
この事件に関して、2ちゃんねるを立ち上げたひろゆき氏の言葉がTwitterのトレンドに入っていたようです。
それは、無敵の人という言葉。
記憶に新しい2021年10月31日に起きた京王線刺傷事件。あの犯人は映画のキャラクターのジョーカーの格好をしていたそうですが、ジョーカーといえば、ダークヒーロー的な一側面を持つキャラクターです。
その犯人はなかなか社会に馴染めず、仕事で失敗をし死刑になりたいがために京王線の車中でナイフを振り翳し、火もつけた。
本人は社会からも疎外され、社会的信用もガタ落ち。
あとは、死ぬしかない。と本来、自殺をすることを考えるのだが、自殺は怖い。ならば死刑になって死のうという考え方から、人を殺めるようになると。
また、そう言った行動は、奇妙にも一部の一定数のダークヒーロー崇拝の人間に、評価されることもあるそうです。
今まで目立たない、まじめにやってきた人が、失敗してすべての信用を失うと、もう失うものがなくなったと勘違いをし、最後は目立つことをやって死刑になって死のうと思う。これが、刑罰を恐れず、むしろ、望む、無敵の人の誕生だそうです。
今まで社会から蔑ろにされてきた、だから、一矢報いてやろうみたいな感じなのかもしれません。
ひろゆき氏は、今まで蔑ろにしてきたこう言った無敵の人になりかねない人に、社会が、政治が目を向ける時がきたと訴えているようです。
誰一人取り残さない。これがSDGsのはず。
たしかに、日本という国は島国だけあって世間の目はまだまだ厳しい。
だから、不条理を感じることも多いです。
特に先進国ならば切り捨てられる人も多くなってくるでしょう。
しかし、心が先進国にならなくては、なんの意味もないでしょう。
私たちに必要な、誰かを蔑ろにしないという努力のベクトルは、いよいよ自分のことだけではなく、他人の中に生きることが最も大事な要諦な気がしてならない。