それはそれは大変なことと思う。
完璧にこなせば対価はおそらく20万はくだらなく行くだろう。
では、仕事として考えてみると、果たしてどうだろうか。クレームの荒らしになるかもしれない。そんな完璧な主婦などいない。
やっていただいているとは思う。
しかし、仕事に換算できないのはその部分ではないだろうか。
家政婦さんがいくらで雇えるかは調べてないが、対価を求めるなら仕事として!と男性脳はなってしまう。
いくら払えるかは、仕事内容によるだろう。
すべてが愛情で賄えない部分は非常に理解できる。当たり前だ。
しかし、それを対価として求めてしまった時点で、仕事であり、男性脳ならばキチッとやらんかいになる。
女性脳はこうだ!って話が多い昨今だ。別に男性の肩を持つわけでもなく、女性が自分の言いたい主張や権利を行使していくという前提ならば、ハナから女性脳という角(つの)を突き上げて突進していくのではなく、男性脳を理解してあげるという人間らしい対話が必要なのだはないだろうか。
ともあれ、家事とは、対価の対象物ではなく、不完全を共に完全に近づけていくという共同作業だ。