あれっす。
すみません。
おそらく映画の題名で来られた方。
違うっす。
最近、、というか三年近くマスク生活が続いてますね。
まあ、マスクの意義の正邪はともかくとして、なんかマスクないと、いろんな考え方の人がいるから、どうしてもつけてしまいますね。
もともと、冬にはマスクをつける私でしたので、さほど苦ではなかったのですが、やはり、夏場ね。キツイですね。
この「いろんな考え方の人がいるから」という考え方が、SNSの表現方法や、テレビなどの発言などする人の意識ももしかしたら同じかもしれませんね。
いろんな考え方に配慮して、マスクが正しいと思う人も、そうでない人も、家を一歩出たら家ではなく社会という「いろんな考え方の人がいる」世界に行く場合とりあえず免罪符のようにマスクはつけます。
私も、いろんなマンションやアパートに出向くので、やはりマスクはしていますが、逆に室内に入って作業をする時、マスクを取るのを忘れたりしてます。
で、一人、車に乗り帰るわけですが、帰りの道すがら最近カラオケも行ってないなぁなんて、少し車の中で歌ったりするわけです。
そのとき、思ったんです。
歌を唄うときに、昔はそれなりに息を吸い込んでたなと。
そういえばマスクをして最近思いっきり息を吸い込んだ記憶がだいぶ前だなと。
唄う前に、大きく息を吸い込んで、肺に目一杯の空気を入れてみると、「バリバリ」みたいな音がするような感覚になったのです。実際にはしないですけど。
それは、萎んでた風船が風船の内面同士がくっついていたところに、空気が入って剥がれ膨らんだ。
そんなイメージ。
「え?」
と思いましたが、すごく久しぶりに肺が膨らんだようなそんな気持ちになりました。
ああ、そんなに長いこと肺に空気がちゃんと入ってなかったんだなぁ。と思ったわけです。
まだコロナ禍なんて予想だにしない少し前に、アンビリーバボーだったか、長野の一部の村で呪いのような出来事があったという話がありました。
それは、人が次々と亡くなっていく話。
背景を書くと長くなるので端折ると、結局のところ川に潜む寄生虫かなにかだってことが判明したのですが。。
問題はその判明するまでの期間。
この事件が起こったのは1980年代だったと記憶しているが、寄生虫だと原因が判明したのは、2010年代になってからということでしたので、30年以上もかかっていたそうです。
たった数十人の村の出来事ですらです。
つまり、これだけ感染拡大をしたコロナの真の感染源を突き止めるのも容易ではないということです。
ただ、対応はそこまでかからずともできるはずなので、あと2年、つまり、5年くらいと勝手に踏んでいる私ですが、まだマスクのご厄介にならないといけない期間がありそうです。
だからこそ、たまには、誰もいないところ、山の山頂とか、ひとりの部屋でもいい、一回、深呼吸をしてみてください。
自分のここ最近の呼吸の浅さと、ああ、深呼吸してなかったんだ、とちょっとだけ深呼吸の必要性を感じるひと時になるかもしれませんよ?
【追記】
調べたところ、アンビリバボーではなく、何だコレ!ミステリーのスペシャルで2020年7/1でした。
思いっきりコロナ禍でしたね。
そして、調査から115年もかかりミヤイリガイを駆逐したそうです。
1996年でした。
うーむ。記憶なんてアテになりませんなぁ。