toujun’s blog

ラジオ、ゲーム、大好きなオジさんが始めた好き勝手に書くブログ

政治っちゅうのは

政治っちゅうのは難しいもんだなぁ。

今回ほど難しいと思ったことはないかも。

むしろ、よく考えてなかったのかもしれない。

反対派はなにを主張しているのか。

政府はなにをいっているのか。その本意を見極める力が必要だ。

今の新型コロナウィルスであぶり出されたものの一つだろう。

そこで出てくるものは、「安心」と「安全」の違い。そこには「民意」と「リーダーシップ」の側面が隠されている気がした。

コロナウィルスによる影響は、社会経済と国民の精神面に現れた。

国民感情としては、とにかく安心を求める。

どうすれば安心できるか。安心するための政治を政府に求めるだろう。

しかし、本来政治は今と未来のために正しい道へ導くためにあるものだ。

そこで、科学や道理を用いて未来のために今は多少の批判は受けようが、正しいリーダーシップを取り、安全を優先する。これが本来の姿だ。

ところがである。最近の風潮はそうではなくなってきてしまった。

SNSの発達により、みんなが気兼ねなく政治に物申す世の中になった弊害からか、民意が物事を進めるようになってきてしまった感がある。

議論になっているものはまだマシだ。

ちゃんとした議論になってないもの、感情論のものも多数ある。これはもう不満を吐き出して反対デモを起こすだけのたしかな野党共産と一緒だ。

 

こうなってしまったら、政治の意味もないし、政治家の意味もない。

たしかに、民意の反映されない政治なんて独裁と一緒との極端な意見も出そうだが、個人的には政治法案=妥協案であると思っている。

メリットとデメリットの削り合いの中の折衷案で生まれてくるものだと思っている。

民意は多いに生かされるべきだし、民意によって選挙で選ばれた議員がそこにはいるはずである。

そうはいうものの、政治の難しさはそこにこそある。

民意によって選ばれたとはいえ、間違いはあるものだ。だからこそ、政治を監視しなくてはならない。声を挙げなくてはならないときもある。ただ、政治家には、政治家という肩書にしがみつくのではなく本当の信念を持って貫き通す技量も必要だ。

10年後、やはりあのときの決断は正しかったと言えるのは、民意なのか。リーダーシップなのか。一体どちらなのだろうか。