toujun’s blog

ラジオ、ゲーム、大好きなオジさんが始めた好き勝手に書くブログ

個人の大事さという議論の前提条件

最初に言っておくが私自身もあまり団体行動は好きではない。

どちらかといえば、なるだけ家に居たいくらいだ。

最近、団体と個人ということにおいてものすごく議論されることがある。

その中で個人の時間を大事にする人が、会社が終わったあとに飲み会に誘われたなどの話が出てきた場合、断りにくいから誘われるがまま、ついて行ってしまって辛くなるなどの話がある。私も、それはよくわかるので、この話としては問題ない。

団体での中心者の論理の暴力は目に余るところだ。

あまりほかの人たちとなじめず、一人で飯を食すのが恥ずかしいが故に、トイレで飯を食うようになる。

 

団体行動にももちろん利点はたくさんあるが、もしかしたら、現代社会には当てはまらないのかもしれない。

しかし、しかしだ。

私が本当に恐れるのは、個の大切さの本質を傘に私はこうだから受け入れろという輩である。

それは、本当の個の大事にしたい人をも愚弄する行為だ。

要は、自分勝手に行動したいがために、個の大事さを語ってくる輩。

遅刻しても、こういう人間なので。

ミスをして叱られても、こういう人間なので。

 

それはもう個の問題ではない。

誰かに迷惑をかけている時点で、それは個ではなく、むしろ団体の中で甘え切ったワガママ人間である。

なぜなら、遅刻しても、、、ミスして叱られても、、

お気づきだろうか。そのあとに来る言葉は、

 

 

 

『誰かがやればいいんじゃん』

 

という言葉だ。

 

個の大事さを語る人は、前提として自分のケツは自分で持つスタンスである。

誰にも迷惑かけない代わりに、私は私で生きている。という社会への投げかけである。

しかし、前述は、個人の大事さという議論を巻き起こすまで頑張ってきた人をも愚弄する行為だと私は思うのだ。